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2007年1月に作成された記事

2007年1月31日 (水)

左義長ばやしの練習会に参加しました。



保存会会長から太鼓の叩き方の癖を修正されました。浮きの方に意識が行き過ぎて太鼓の叩き方がおかしくなってきているとのこと。確かに、昔できていたのに今はできなくなっていることがあります。その理由が納得いきました!

知らず知らず無意識のうちに癖というものはできあがっているようです。自分では気づかないだけに誰かが指摘してくれないとなかなか治らないのかもしれません。そして、そういう指摘をしてくれる人の存在は、本当にありがたいものです。

2007年1月29日 (月)

雑感

東国原氏が宮崎県知事に当選したというニュースには正直驚きました。


いわゆるタレント候補が知事になったから驚いたのではありません。まさか捲くるとは思っていなかったからです。確か、選挙戦の初めの頃は泡沫候補の扱いであったはず。それがあれよあれよという間に、支持層を拡大していき見事栄冠を勝ち取った・・・・その見事な追い上げっぷりに驚きました。


何はさておき、新知事には頑張っていただきたいと思います。国とのパイプも県議会とのコネクションもないという極めて不利な状況からのスタートですが、橋本大二郎高地県知事の先例もあることです。頑張って欲しいと願います(本心)。




それはそうと、宮崎県議会の議長のアノ態度は・・・・・ちょっと礼を失していましたね。







私が上記のような感想を抱くのにはちょいとした理由があります。


というのも、市長であれ知事であれ、首長と呼ばれる人たちは孤独に苛まれる状況に追い込まれるであろうと思うから。


もちろん、私は首長になったことがないのでそう思うだけなのですが、企業(大企業であろうと中小企業であろうと)のトップに立つ人が感じるであろう孤独感を首長も味わっているんじゃないかな?・・・・と予想するのです。





しかも、首長は組織のリーダーであると同時に「政治家」です。政治家である限り、首長はもうひとつの孤独を味あわねばなりません。


かつて、私の地元にはいわゆる「大物県会議員」と呼ばれる県議がいらっしゃいました。その人が私の父にポツリと漏らしたそうです。「選挙は人を悪くする。政治は人を捻じ曲げる」と。ここで言う「人」とは選挙民のことではありません。「人」とは政治家そのものです。選挙は政治家そのものを悪くする。政治は政治家の心を捻じ曲げていく・・・・そういった趣旨の言葉です。


「得体の知れない悪意」と私は呼んでいますが、政治を志す者はこれに立ち向かうことになります。この「得体の知れない悪意」を言葉で説明するのは難しいですね(苦笑)。例えば、まちづくり活動なので新しいことをし始めた人ならば、納得してもらえるでしょう。つまり、「人々の格好の標的になる」状態に我が身をさらしたときに感じる不安感・猜疑心・やり切れなさ・・・・まあ、そういったものに直面することになるわけです。
(他の議員の方々に直接聞いたわけではないので、すべての政治家がこういった心情を持たれているか否かはわかりませんが)



私なんぞは市議会議員の末席を汚している身ですからまだ楽な方です。
私がこういうことを言うのもナンですが、議員は議会の構成員でしかありません。one of themなのですね。ところが、首長はそういうわけにはいきません。ピンで立っている首長はすべての「得体の知れない悪意」を引き受けることになります。しかも議員ならば同僚議員はいるのですが、同僚を持たない首長にはその孤独を理解する人はいないのです。




そういった「得体の知れない悪意」を克服するのは、詰まるところ本人の理想と使命感、そして市民に対する感謝の念でしかないと思うのです。



ところが、「得体の知れない悪意」と理想・使命感の均衡が崩れ始めると、「何でお前らは俺の言うことがわからないんだ!」という最悪のところへ意識が動き始めます。長野県知事であった田中氏が当てこすりとも言えるような言動を任期の終期に繰り広げていたのは、この均衡が崩れたためではないかと私は邪推しています。



東国原知事には、そういったところへ行って欲しくはないですね。頑張って欲しいです。








話は変わりますが、毎年恒例となった『松村治門 新春の集い・市政報告会』を今年も開催いたします。


今年は選挙の年でもあります。4年間の総括をしなければなりません。「ナンだその程度のことしかしてこなかったのか」というご意見も当然にあることでしょうし、「良し。その調子で頑張れ」というご意見もあるかもしれません。総括の上で出てくるそういったご意見が、そのまま選挙に反映されるわけですから、健全な選挙のためにはやはり総括することは必要ですね。


ただ今、その準備に追われています。左義長まつりの準備もあります。もうてんてこ舞いです・・・・


ちなみに、市政報告会は2月4日ですが、若造の言うことをちょいと聞いてやろう!と思われる方はご連絡ください。まだ若干席に余裕はあるみたいです。

2007年1月28日 (日)

左義長まつりスタンプラリー

左義長まつりに今年からスタンプラリーが復活します。


その台紙のレイアウトをただ今作成中。

福井新聞社さんに掛け合って版権問題をクリアしたりと色々苦労しましたが・・・・・かなり良いものに仕上がりそうです。


たぶん、見られた方は「おおっ!」と思うのでは?

ひとりでも多くの人に左義長まつりを堪能してもらいたいですね。
残り1ヶ月。いよいよラストスパートです。

2007年1月24日 (水)

嗚呼

久しぶりに・・・本当に久しぶりに左義長の練習に行ってきました。


ええっと、バチを最後に持ったのはいつの日のこと?4・5ヶ月前のイベントに参加して以来じゃないでしょうか。

案の定、腕は落ちまくりです(「それじゃ、お前は元々うまかったのか!」というツッコミはご容赦を)。太鼓はところどころはずすは、浮きはヘンテコリンだわ・・・・( ゚Д゚)アライヤダ!!

何よりも、考えながら浮かなきゃいけないのがまずいですよね。「あれはどうしたっけ?」「これはどういう風に動いていたかな?」なんて考えながら浮いているようではいけません。

まずい。練習しなくては。

安倍首相の再チャレンジとは?

yahooより

安倍晋三首相は22日夜、首相公邸で岡崎久彦元駐タイ大使、政治評論家の屋山太郎氏らと懇談した。出席者によると、宮崎県知事選で元タレントの東国原英夫氏(そのまんま東)が当選したことが話題となり、首相は与党推薦候補が敗れたことにショックを受けた様子だった。ただ、首相は「そのまんま東氏は再チャレンジに成功した。自分の再チャレンジ政策はそういうものなんだ」とも述べたという。


・・・・・これ、いくらなんでも誇張してません?仮にも一国の宰相がこんなこと言うとは思えないんですが。

もしくは、よほどショックが強かったか・・・・この記事を読んで、私もショックを受けてしまいましたが・・・・

かちやまネット

1月22日から、『かちやまネット』が立ちあがったそうです。

このサイトは、勝山の市民の皆さんで設置・運営・管理をされているものです。


実は、こういうHPが立ち上がらないものかと前々から渇望していたので、
キタ━━━━━━(≧∀≦)ノ━━━━━━ !!!!!
という感じです。

明るい感じで見やすいですし、ぜひ皆さんもご覧ください。

2007年1月23日 (火)

世界遺産登録、残念!

本日、勝山市教育委員会から残念なお知らせが届きました。


昨年、『霊峰白山と山麓の文化的景観』を文化庁の『世界遺産暫定リスト候補』に申請したことは皆さんご存知のことでしょう。

その結果が本日届いたそうです。結果は、残念ながら継続審議・・・・・つまり、「今回は見合わせる」ということです。

全国から申請のあった24件のうち、富岡製糸場、富士山、飛鳥・藤原京、長崎の教会群の4つが暫定リスト入りしました。


う~ん・・・・残念なことは残念ですが、逆にこれで火が消えてしまうくらいなら最初からしないほうがマシというものです。

何が悪かったのか、そしてどうすればリストに載るのか(その方法は大体明らかになっていますが)、これらを検討して今後も地道な活動を維持していかなければなりません。

10年はかかると言われているリスト入り。気をなが~くもってやっていこうではありませんか。

勝山年の市

先週、エコミュージアム協議会にオブザーバーとして参加させていただきました。

その席でとても素晴らしいお話を伺いました。今年の
『勝山年の市』では北谷町と野向町がエコミュージアム協議会の出店団体という形式でなく、独自にテントを構えるとのこと。


これはどういうことかと申しますと、勝山の冬の風物詩といえば、勝山左義長まつりと勝山年の市ですが、ここにエコミュージアム協議会のテントが出ます。つまり、勝山のエコミュージアムの成果が並ぶわけですね。
 北谷町の『鯖のなれ鮨』、野向町の『えごま』もエコミュージアムのテントに参加していたのですが、昨年あたりから独自にテントを構えて自主販売を行っている・・・・ということなのです。
 荒土町の『炭』、遅羽町が『ぼたもち・ほし大根・クッキー』、北郷町が『鮎の甘露煮の巻寿司』、鹿谷町が『きび団子・はまな味噌・マグカップ』など、今年の年の市にもエコミュージアム協議会のテントには、いろいろな地区の特産品が並びます。

北谷、野向に続け!とばかりに頑張ってください。

2007年1月17日 (水)

プロパガンダ映画にご用心

本年は、南京事件70年ということで色々な政治的思惑で様々なものが作られるようです。


読売から。

旧日本軍による1937年12月の南京事件をテーマにした米国のドキュメンタリー映画「南京」が完成し、ユタ州で18日開幕するサンダンス映画祭で初公開される。
 今年70年を迎える南京事件は、国際的な関心を呼ぶことが予想され、中国や米国で関連映画の計画が相次いでいる。「南京」はその先陣を切る作品として注目されている。

 「南京」は、事件当時、現地に滞在し多数の中国人を救済した欧米人の姿を中心に描かれている。
 中でも、ドイツ人ビジネスマンのラーベ氏を、ユダヤ人をホロコースト(ユダヤ人大虐殺)から救ったドイツ人実業家になぞらえ「中国のシンドラー」と位置づけている。監督は、アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞を2度受賞したビル・グッテンターグ氏。中国人生存者の証言を集めたほか、マリエル・ヘミングウェイさんら米国の著名俳優を起用し、欧米人の日記も読み上げる。事件をめぐっては、日中間で論争があるが、映画は犠牲者を「20万人以上」とし、 欧米人らの尽力で「25万人が救われた」としている。

 プロデューサーを務めた米インターネット接続大手AOLのテッド・レオンシス副会長が2年前、中国系米国人作家アイリス・チャン氏の自殺に関する新聞記事を読み、関心をもったのが制作のきっかけという。事件を告発したチャン氏の著作「レイプ・オブ・ナンキン」は、日本では「事実誤認が多い」と指摘され論議を呼んだ。

 サンダンス映画祭は、俳優のロバート・レッドフォード氏が創設し、低予算の「インディペンデント(独立系)映画」対象としては全米で最大規模。今年のドキュメンタリー部門には856の応募作から選ばれた16本が上映される。

 今年計画されている南京事件を題材にした映画は、ほかに中国の陸川監督の「南京!南京!」や、アクション映画で定評のある香港のスタンリー・トン監督の「日記」、「レイプ・オブ・ナンキン」を下敷きにした米英中合作など、少なくとも4本ある。
 米メディアでは「日中関係を緊張させる要因になるのでは」との見方も出ている。

南京大虐殺があったとされる南京攻略戦の際に、南京にいた住民の数は20万人(一説には30万人)と言われています。

なるほど、20万人の住民がいるところで、20万人以上が殺される大虐殺が行われ、欧米人の尽力のおかげで25万人が救われた・・・・・と。

与太話にしか聞こえませんね(苦笑)。




大虐殺というのであれば、よほど東京大空襲の方が大虐殺でしょう。一般民家に対して焼夷弾を用いてひとつの都市を丸々焼き尽くすという行為をジェノサイドと言わずして何をジェノサイドと呼べばいいのでしょう。広島・長崎の原子爆弾投下もしかり。東京大虐殺、広島大虐殺、長崎大虐殺と呼称してみては?


われわれ日本人の知らないところで、日本の名誉を著しく貶めようと画策している人たちがいることを、われわれは忘れてはいけませんね。


もちろん、獅子身中の虫がいることもお忘れなく。

再資本化力を高めるために

先週末に、青年会議所の総会&新年会に出席したときのこと。

メンバーのひとりに信金さんにお勤めの方がいらっしゃるので(というとメンバーにはモロバレなのですが)、彼と地方経済の再資本力強化の問題について語り合いました。

昨年の9月議会での私の一般質問でやり、新春の市政報告でも述べましたが、地方経済の再資本力強化は喫緊の課題です。


再資本力とは、詰まるところ「勝山に落ちてきた金が勝山経済の中をぐるぐると廻る」ということです。
(何回も同じ例えを出して恐縮ですが)
勝山の経済というコップがあった場合、ここには様々な資本が流入してきます。この資本はコップの中で水のように蓄積されていかなければなりません。なぜなら、この水がコップから溢れ出したとき、その水は剰余資本となり、その剰余資本(=溢れた水)をめがけて市外から人々がやってくるからです。
 市外から人がやってくるようになると、今度はコップの大きさそのものが変わってきます。つまり、コップが大きくなるのですね。そして、その大きくなったコップの中に水がどんどんたまっていき、溢れたところで更に人が集まり、コップがもっと大きくなる・・・・・これが再資本家力強化の理想的なスパイラルです。



ところが、現実には勝山経済から水はどんどん漏れていっているのです。

平成14年に勝山商工会議所が作成した資料では、100の資本が勝山に投下されているならばその100の資本のうち、勝山経済で消費されているのは70に過ぎないとのこと。つまり、30は市外へ逃げているのです。

もっとも、この商工会議所作成の作成した資料は、様々なデーターを重ね合わせて概算で算出されたものです。実際に、民間資本のどれだけが市外へ流出しているかという細かなデーターを揃えなければ、具体的な政策の打ちようがありません。昨年の9月議会の一般質問で、「早急に行政は、そのデーターを採取すべきだ」と訴えたのもこの点にあります。


いずれにせよ、再資本化力を高めるためには、もはや行政の政策のみでは困難な時代に差し掛かっています。

金融機関をも交えて、どのようにして取り組んでいくのか。極端な話、アメリカで実際に行われている資本制限のような政策すらも視野に入れていくべきではないでしょうか。