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2007年3月31日 (土)

ようやく読書週間

左義長まつりも終わり、三月議会も終わり・・・・ようやく読書週間がやってきました。



とりあえず、今読んでいるのは北方謙三の『水滸伝』。

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これは、単行本で出ていたのですが何せ17・8巻くらいあったはず。はやく文庫化されないものかとやきもきしていました。

この前、書店を覗いてみたところいつの間にか文庫化されていたようで、衝動買いをしてしまいました。




内容の方は・・・これは好き嫌いがはっきりと分かれるでしょうね。私はドンピシャではまりましたが「こんなの水滸伝じゃねぇよ」という声もおそらくはあることでしょう。




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私が初めて水滸伝を読んだのは、中学2年生の頃でした。吉川英治の水滸伝ですね。

ただ、何となくその当時から不満に感じていたのは、キャラがすごい割にはボリュームに欠けるという点でした。

例えば、冒頭から豹子頭林沖、花和尚魯智深などのキャラが出てくるわけです。大暴れしますね。痛快です。

ところが、林沖なら林沖の、魯智深なら魯智深のエピソードが終わると、めっきりと登場回数が減るのが子供ながらに面白くなかったのです。「林沖はどこに行っちゃったの?」

そういう不満を解消してくれるという1点だけでも、北方謙三の『水滸伝』は読む価値があります。




内容も不満のない出来なのですが、単行本で4巻まで読み進んだ現在興味深いのは「関勝の扱いがどうなるのか」というところ。

ご存知三国志の関羽は絶大なる人気を誇っています。華僑がコミュニティをつくるところには必ずといってよいほど関帝廟が作られます。

それほどの人気を誇る関羽ですから、色々な物語にちょくちょくと顔を出すことになります。

吉川英治の水滸伝でも、必然性もなく「関羽の子孫だから」という理由で、関勝というキャラが「さしたる用事はなかりけど、呼ばれて来たるは・・・」みたいな感じで登場します。


果てさて、北方謙三の水滸伝では関勝はどうなるのか。それが興味深いところです。









さて、読書週間の2冊目として今とりくんでいるのが、『意図的社会変動の理論』。


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この書の問題提起は実に明快です。

「政府や地方自治体の実施する社会計画が失敗することがあるのはなぜか。
 逆に、行政当局よりも動員できる資源が少ないと思われる住民運動が成功することがあるのはなぜか」



これをゲーム理論から出発して研究しようというのです。


ただ・・・・問題提起は明確なんですが、中身が明確ではない。
久しぶりに「ナッシュ均衡」や「完全ベイズ均衡」の文字を見ました・・・(;´∀`)・・・いたいなぁ・・・


もちろん、著者の問題提起が完全に理論化できるはずがないことは明らかです。現実問題を見ても「なぜあのプロジェクトが成功して、こっちのプロジェクトは失敗したのか」という原因が統一的に理論化できるはずがありません。

ただ、こういったものは思考のプロセスを学ぶのに役立ちます。多分。
そうでも思わなきゃ、読んでられません。








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