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2007年10月 7日 (日)

戦没者慰霊祭

先だって、北郷町の戦没者慰霊祭に出席しました。


「先の大戦」が終わりを告げてから、はや62年。逝かれた方々は、私の祖父・曽祖父の世代にあたります。その時の歩みは、慰霊祭に参列されている皆さんの年齢を見てもわかります。




おそらく、後20年もすればこの慰霊祭も行われなくなることでしょう。それは北郷町ばかりではありません。日本全国で執り行われている慰霊祭は、その参加者の高齢化に伴ってひっそりと幕を閉じるのでしょう。その時に、我々は初めて左翼の言うところの「軍靴の足音」を聞くのではないでしょうか。

人は理念で動くものではありません。ましてやお題目で動くことなど考えられません。平和、平和と口先だけで唱えていれば本当に平和がやってくるであろうと考えるのは、平和ボケした一部の左翼陣営だけで結構です。本当に人の心を動かすのは、人の心だけです。正確に言うならば、人の情念です。酷寒の大陸で、酷暑の島で、ひたすらに祖国の繁栄と家族の安寧を祈って散華された先人たちの想いを我々が忘れない限り、平和国家たる日本は存続しうるでしょう。

先人たちの想いに蓋をして、「あの戦争は実にくだらないものだった」「お前たちの祖父たちは人殺しだったのだ」「軍人たちはだまされて人殺しをしたのだ」などと唱える欺瞞に我々はいい加減気づくべきではないでしょうか。



過去をふり返れば、こちらを向いて歩いてくる過去の人々に出会うのが、歴史の真相である」と言ったのは小林秀雄でした。我々は、日常の生活では未来を想いながら過ごしている。これは前へと進む意志である。もちろん、この意志は時を経れば歴史の衣をかぶるだろうが、我々は前へ進もうと日々を過ごしている。なぜ、歴史をふり返るとき過去の人々はそこで止まっているかのように思い込むのか・・・という意味の言葉です。ややもすると暖衣飽食して、過去の歴史を我々の現在の常識で図ろうとする傾向を諌めたものです。

我々は先の大戦をふり返るときに、果たして散華された先人たちの想いと、我々は出会っているのでしょうか。


 

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