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2007年11月 2日 (金)

鳩山大臣とウルトラマンと日本の主権~その1~

鳩山大臣の「CIAに情報を流していた」発言については、前回のブログで述べたとおりです。


しかし、この発言。鳩山大臣の脇が甘すぎるといえばそれまでなのですが、これがアメリカではなくて北朝鮮だったらどうだったかな?という気はします。

これは、鳩山大臣が「CIAに情報を流していた」のではなく「北朝鮮に情報を流していた」のであれば、果たしてここまで公言したかな?という疑問ですね。北朝鮮に対する風当たりの強さから発言を慎むだろうということは容易に予測できます。いくらなんでも「私は北朝鮮に情報を流していました」では世論の批判は免れないでしょう。

ただ、私が敢えて北朝鮮とアメリカを天秤にかけた理由は、もちろん北朝鮮ならば世論は許さないということもあるのですが、それ以上に、アメリカならば世論もさほど騒ぎはしないだろうという鳩山大臣の考えが幾らかはあったのではなかろうかという点です。

ちょっと補足しますと・・・

鳩山大臣の問題発言は・・・これは問題発言以外の何物でもないのですが・・・・発言を通して彼が言いたかったことは「国家として情報収集は必要ですよ」「ほら、実際にアメリカはこんなところまでやってるじゃありませんか」という点でだったのでしょう。

「こんなところまでやってるじゃありませんか」という説明に自分の体験を引き合いに出すところが脇の甘さなのですが、それはさておき。おそらく鳩山大臣も「国家として情報収集は必要ですよ」「ほら、北朝鮮はこんなところまでやってるじゃありませんか」という文脈で語ったならば、(仮に北朝鮮からの利益供与があったと仮定して)自己の体験を引き合いに出さなかったと思うのです。

理屈上、これはおかしいんです。だって、北朝鮮であろうがアメリカであろうが国家の情報を流すこと自体は同じです。実際に国民は国家の情報を軽々と流すことに対して問題視しているのであって、相手先がどこであろうと関係ない。
私が言いたいのは、鳩山大臣の中では、相手先がどこであろうと許されるはずのない国家情報漏洩に対して線引きがされていたのではないかということなのです。「アメリカならば国民も納得してくれるだろう」みたいな安心感。これがあったと私は思っています。

この思い込みがあったのかどうかは鳩山大臣本人以外は知る由もないのですが(仮にあったとすると)、この思い込みは2つの前提がなければ成立しません。
 (1)鳩山大臣がアメリカに対する信頼(or親近感)を持っている
 (2)国民がアメリカに対して信頼(or親近感)を持っている
少なくとも、鳩山大臣自身はこの2つともあると考えていたのでしょう。


さて、この鳩山大臣の思い込みの前提となる(2)は存在するのでしょうか。



私は存在していると思ってます。






よく言われるのは、「アメリカはウルトラマンだ」という話ですね。これは確か90年代の半ばくらいに佐藤健志という人が書いた本で広まった比喩です。

これはどういうことかというと、ウルトラマンはアメリカであると。そしてウルトラマンに守られている地球人が我々日本人であるという構図を表したものです。




ウルトラマンには怪獣が出てきます。これは誰しも知っています。そして地球の平和を守るためにウルトラマンは怪獣と戦う。これも誰しも知っているところです。

ですが、そもそも怪獣と戦わねばならないのは人間なんですね。なぜなら、怪獣はウルトラマンと戦うために地球にやってきたわけではありません。人間を滅ぼすために地球にやってくるのですから。

この「人間⇔怪獣」という図式の中では
  怪獣>人間
なんです。怪獣の方が強い。そもそもこれでなければウルトラマンが出てくる意味がないですから。

そして、ウルトラマンが出てくると
 ウルトラマン>怪獣
という図式が成り立ちます。ウルトラマンは怪獣よりも強い。そうでないとストーリーが破綻します。

もちろん、この2つの図式の中には
 ウルトラマン>人間
という図式もあるわけです。これも当然でしょう。

ところが、この3つの図式を同一の枠組みの中に入れてしまうと、少々ややこしいことが起きてしまうのですね。どういうことかというと、力関係の比率がこの3つの図式は全く違うのです。「新幹線」と「特急」と「自転車」のスピード比較をするようなものです。

ウルトラマン>>怪獣>>>>>>>>>>>>>>>>>>人間

こんな図式になってしまう。そして、この図式の中では人間なんてやることがほとんどありません。

ウルトラマンには科学特捜隊という組織が出てきます。言うなれば人間が防衛のために作った組織です。この科学特捜隊のイデ隊員(だったと記憶してます)は、シリーズの後半で
「ウルトラマンがいれば、俺たちなんていらないじゃないか」みたいな発言をしてるのですね。再放送を見ていた私は子供でしたが、その投げやりな言い方はよく覚えてます。

「それを言っちゃ、おしまいだろ?」と思わなくもないですが、実際そのとおりでしょう。やることないですから。




やることがなければ、どうするのか。人間は無条件にウルトラマンを信頼するより他にないのです。


でも、これも奇妙な話です。

TVでウルトラマンを見ていた私たちの視点は、客観的に見ているようで、実はウルトラマンの視点に立っています。少なくとも事情を全く知らされていない人間側の立場にはありません。

怪獣がいきなり暴れはじめてそこにウルトラマンが出現したら、我々はどう思うでしょう。「やばい。怪獣が2匹になった」と思うのが普通でしょう。ところが、この2匹の怪獣はいきなり取っ組み始めて片方が勝った。果てさて、この勝った怪獣はどのような行動を取るのかと思っていたら、カラータイマーをピコピコさせながら空に飛んでいった。「良かった、この怪獣は我々に危害を加えなかった」

またしても、別な怪獣が現れたときにも、この怪獣は現れて退治してくれた。それが続くに及んで「どうやら、この赤白の怪獣は我々の敵ではなさそうだ」と感じるのではないでしょうか。

この「どうやら敵ではなさそうだ」という感覚と、「正義の味方」というそれとはものすごい距離があるのですね。








『ガメラ』という映画があります。これはゴジラに対抗する大映のドル箱映画なんですが、このガメラシリーズの第2作が『ガメラ2 ~レギオン襲来~』です。



Photo個人的には非常に良くできている映画だと思います。

この映画の中で、地球を侵略する敵としてレギオンという怪獣が出てきます。このレギオンとガメラが戦うわけですが、自衛隊は、事もあろうにレギオンと戦っているガメラを攻撃するわけです。

財津一郎演じる師団長(多分)は、確かこんなことを言ってたはずです。
「ガメラは我々の味方とは限らん」



映画を見ている分には理不尽な台詞と感じるかもしれませんが、この財津一郎の台詞の方がまともと言えばまともなのでしょう。

ガメラと会話した人間がいるとも思えません。もっとも、作中には出てくるのですが、普通はガメラの意思なんて確認しようがないわけです。「私はガメラと言います。私はあなた方の安全を守ります」という約束でもしているなら、まだ話はわかりますが、「本当にあいつは俺たちの味方なのか?」と不安に思うのが当然でしょう。




「どうやら敵ではなさそうだ」という発想と「正義の味方」は違うということです。
「正義の味方」ならば、無条件に信じるのも結構でしょう。しかし、「どうやら敵ではなさそうだ」というレベルの存在を、なぜ無条件に信じることができるのでしょうか。



(その2へ続く)

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