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2008年2月26日 (火)

勝山左義長まつり

久しくブログの更新を怠り、誠に申し訳ありませんでした。^^;





さて、今年の左義長まつりも終わりました。

しかし、あの天気は何だったのでしょう。準備の金曜日と後片付けの月曜日は晴天で、本番の土曜日、日曜日は大荒れ(落涙)。

昨年は「左義長始まって以来」と古老が絶賛した程の完全な晴天でしたが、今年は「左義長始まって以来」と同じ古老がため息をつくくらいの大雪・強風でした。




そんな左義長まつりの準備をしていた金曜日は、すがすがしい晴天でした。

Photo

左義長まつりでは、各やぐらごとに御神体を設置します。


基本的に御神体の数は13なのですが、他に左義長まつり実行委員会の御神体が存在します。その設置・管理については勝山青年会議所が担当しています。


左の写真がその御神体。







金曜日に御神体を設置して、明日からの左義長まつりに備えます。準備を終えたのは、おおよそ9時過ぎといったところでしょうか。

担当委員会&有志は腹ペコ状態です。

「よし!メシを食べに行こう」

Photo_2

とりあえず皿を積み上げてみました。


お勘定するときに、店員の方が皿の数を読む機械をもってきます(あのバーコード読む機械に似たやつですね)。

どうやらあの機械は、最大4枚~5枚だそうです。

せっかく積み上げた皿も、店員のお姉さんの前に冷静に解体されました・・・・







・・・・・「よっしゃ!気を取り直して飲みに行こう」・・・・と、左義長前日の夜は更けていったのでした。





そして、当日。


朝から、猛吹雪のため私たちはその対応に追われました。

昨年から青年会議所は、左義長まつりの総合案内所を担当しています。勝山郵便局前にて10m×10mの大型テントを設置して、観光案内および様々な本部運営機能を果たしているのですが、この吹雪のために本部運営機能どころかテントそのものの心配をしなければならなくなりました。


「ひょっとしたら・・・・ドンド焼きができなくなるのでは?」




今年から、左義長まつりの新しい取り組みとして「ひとつのやぐらに打ち手に集まってもらう」という企画が立ち上がりました。

左義長まつりを訪れる方々からのご意見として、「せっかく左義長まつりに来て、やぐらを見に行っても誰も叩いてなかった」というものがあります。各やぐらは、それぞれに独立して活動されていますので、休憩時間もまちまちです。

そこで、土曜日の2時から4時までと日曜日の2時30分から4時30分までの時間に、上長渕のやぐらをお借りして「この時間に必ず打ち手が集まります」という時間帯を設けたのです。


私もこの時間だけ本部を抜けさせてもらい参加しました。


私は、左義長ばやし保存会の末席に置かせてもらい、万博をはじめとして色々な公演で叩かせてもらいましたが、実はやぐらに上がった経験がありません。ここ数年来、青年会議所の左義長まつり担当委員会として運営に携わっていたために、抜け出すことができなかったからです。
「まあ、今年で青年会議所も卒業だし、最後くらいは・・・」と、上長渕のやぐらに上がってみたのですが・・・・


・・・・呑まされました(涙)・・・・


次から次へと出てくるコップ酒。勢いついでに呑みまくって、千鳥足で本部テントに帰還したものの、後は仕事になりませんでした。青年会議所メンバーには本当にご迷惑をかけました。すみません。


ちなみに、翌日も上長渕のやぐらにはお邪魔しましたが、さすがに前日の轍は踏むまいと控えめに呑ませていただきました。「結局、呑むんですか!」と同行した方に突っ込まれましたが・・・





残念なのは、悪天候のためにスタンプラリーの参加者が少なかったことです。

Photo_3
各やぐらをまわっていただこうと、昨年から始めたスタンプラリーですが、昨年の完走率は実に8割にのぼりました。

それを受けて、今年は景品をさらにグレードアップしたのですが・・・・


今年は、猛吹雪のためにスタンプラリーは完走率3割程度のサバイバルラリーに変身しました。

左の写真は、景品のひとつである左義長ステッカーです。携帯にも貼れるように大きさを工夫しました。







そういえば、今年は外国人のお客様が多かったような気がします。いよいよ左義長まつりも国際的になってきましたね。県の文化財登録もされました。次は・・・・








初日の吹雪で危ぶまれたドンド焼きも、無事に行われました。

色々とありながらも、最終日のドンド焼きを迎える頃にはすがすがしい気分になっています。

Photo_5 

左はドンド焼きのひとコマ。各地区の御神体が勢い良く燃えています。

写真では伝わりにくいのですが、本当に勇壮な火祭りです。






左義長まつりが終わると、奥越前にも春の兆しが見えてきます。待ちに待った春は目の前です。

コメント

近来まれに見る、悪天候での、活動ご苦労様でした。実は昨年私も人生三回目の年番を経験しましてその大変さは充分経験しました。私の町内では、10軒くらいで受け持つのですが、早く4月くらいから、各人にその役目を認識していただき、(期間中2~3日仕事を休んでもらう)9月くらいにはどんど焼きのわら準備(最近はわらを細分化してしまうため)などその活動内容を充分に理解した指導者の下で遠大な計画を立てて実行していくのですが寒い時期のこと、高齢も重なって、体調を崩されると、ほかの者は、運営方法など全くわからない状態で、混乱をきたすことが多く、しかもかなりの重労働で、年々その運営は、厳しさを増してきて居り、近い将来その存続の危機を迎えることでしょう。又櫓格納庫の建設も(当下長渕だけ未完)なれど、財政的、場所的に厳しい状況におかれています。

コメントありがとうございました。

今年の年番、ご苦労様でした。傍から見ていても年番が本当に大変なお仕事だということがわかります。


左義長まつりは地区の方々の運営によって成り立っているわけですが、地区の人口の減少および高齢化に伴い、仰るような問題が発生しています。

今や勝山を代表する祭りとなった左義長まつりですから、「勝山の祭り」と位置づけるのは当然なのですが、さりとて運営されていらっしゃる地区の方々からすれば「運営しているのは我々だ」という想いはあると思うのです。地区の区民の方々は祭りのために負担金(地区によっては積立金)を払い、年番の方々は仕事を休んで運営されていらっしゃいます。そういった点から「運営しているのは我々だ」という想いが出てくるのは当然のことでしょう。
しかし、実際にその財政的・労力的負担に耐え切れない地区もそろそろ出てくるのも火を見るより明らか。

人によっては、
「左義長まつりは勝山のまつり」
「だから勝山市民が全体で支えるべき」
と仰る方がいます。確かに、この理屈は誤ってはいません。事実、左義長まつり実行委員会を通して各地区に市から助成金が出ているのは、「左義長まつりは勝山の祭りだから公金を用いる」という理由です。

ですが、この理屈だけで全てを片付けられるほど簡単な問題ではないと思います。

・・・・難しい問題です。

しかも、左義長まつりは神事ですし。


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