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2009年6月26日 (金)

手詰まり感の打開 その3 シュンペーター

前回に引き続き、この「手詰まり感」「閉塞感」の打開について想うことを。


前回まで、資本主義には限界があることを経済学者たちが予言していたことについて述べました。ところが、リカードやマルクスは、このままでは資本主義は行き詰まるであろうと予測していたにもかかわらず、革新的な技術革新によって資本主義は生き延びます。


さて、ここでもうひとりの経済学者に登場願いましょう。




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ヨーゼフ・アーロイス・シュンペーター(1883-1950)



オーストリアの経済学者で、彼の説は「イノベーション理論」と言われます。

これは、企業家(アントレプレナー)たちの行うイノベーション(革新)こそが資本主義を発展させるというものです。



さて、このシュンペーターは資本主義の未来をどのように捉えていたのでしょうか。




1936年1月。アメリカ農業大学院において、シュンペーターは「資本主義は生き延びうるか(Can capitalism survive?)」とのタイトルで講演を行います。

この講演は、次のような文言から始まります。
Ladies and Gentlemen. Can capitalism survive? No. I do not think it can
(紳士淑女の皆さん。資本主義は生き延びられるのでしょうか。いいえ、生き延びられません)

やはりシュンペーターも資本主義の未来を悲観的にとらえていました。しかし、その悲観論は実にユニークなものです。

さて、それを語る前に、ここでシュンペーターの言う「企業家」とはどのような人を指すのかについて少々。なぜなら、この「企業家」を誤解するとシュンペーターの資本主義論が全く訳のわからぬものになるからです。ちなみに、私も当初は誤解していました。bearing

企業家とは、一般的な感覚では「社長さん」です。しかし、慣行的な事務遂行をしている社長さんたちと企業家とをシュンペーターは明確に区別しました。

シュンペーターは、こういっています。
「起業者であることは職業ではなく、通常一般には永続する状態ではない」
つまり、社長を社長業としてやっているような人は企業家ではないと言うのです。
 金銭的な欲求からイノベーションをするような連中も企業家ではないとシュンペーターは言います。確かに彼らは豪奢な生活をしているが、金持ちになるためにやっているのでもないと。

ならば、シュンペーターにとって企業家とはどのようなタイプの人なのでしょうか。
 
①「私的帝国」ないしは「自己の王朝を建設しようとする夢想と意志」
 ②「勝利への意志」あるいは「成功を獲得しようとする意欲」
 ③創造の喜び

この3つが企業家を動かす動機だと彼は言うのです。


なるほど、もはや動物的な衝動ともいえる動機に突き動かされて、企業家たちは資本主義を発展させます。しかし・・・だからこそ、資本主義は衰退せざるをえないのだとシュンペーターは結論づけるのです。

理由は実に簡単です。経済成長を遂げた「豊かな社会」では、もはやリスクを覚悟して新たなイノベーションに挑もうとする「企業家精神」は薄れてくるからです。


余談ですが、各地の青年会議所(JC)でこのアントレプレナー(企業家)を育成しようという事業が行われています。しかし、JCがいうアントレプレナーとシュンペーターがいうアントレプレナーでは、ニュアンスが異なるように思います。シュンペーターならば、「そんなものは教育して出てくるようなものではない」と言うでしょう。本多宗一郎は教育によって出現したものではありません。JCのいうそれは、むしろ「起業家」といった側面が強いです。



・・・しかし、「自己の王朝を建設しようとする夢想と意志」とか「勝利への意志」とか、およそ経済学の枠を超えてしまった説明ですね。シュンペーターの業績が経済学でなく経営学の方に引き継がれているのもわかります。だって、これはもはや経済学の範疇に納まりません。

もっとも、シュンペーターの思想が狭義の経済学の枠内におさまらないのも無理はありません。なぜなら、彼にとって資本主義とは単なる経済制度のひとつという側面を超えて、文化そのものだったからです。
 文化とは私たちの行動を規定するものです。慣習と言っても言い変えることもできるでしょう。「私たちの行動を規定する」という意味ならば、資本主義はまさしく文化そのものです。
 例えば、資本主義の特徴のひとつである合理主義。この合理主義は、われわれの生活を規定しています。

資本主義は文化である。そして、その資本主義は資本主義であるがゆえに衰退する。文明論的に言えば、シュンペーターの思想はこのようになるのでしょう。



さて、ここまで来ると、われわれの持つ「停滞感」が見えてきたようにも思われます。


資本主義的な文化そのものが行き詰まってきているのです。

豊かな生活を目指してわれわれはここまでやってきました。しかし、溢れかえらんばかりのモノに囲まれたわれわれは行き先を喪失してしまったのです。

確かに、どんどん新しいモノは市場に出ています。液晶テレビ、地デジテレビ、新機能を備えた携帯電話・パソコン、環境に配慮した車などなど。
そこで、私は前回と同じ質問をしたいのです。
あなたは本当にそれが欲しいのですか」と。

本当に欲しいモノ、それがなければやっていけないモノなんて、もはやないのです。ならば、なぜそれを買うのでしょう。ひょっとしたら、一種の空虚感を紛らわせるためではないのでしょうか。新しいモノ、新奇なモノ、ただそれだけの理由でわれわれはモノを買っているのではないでしょうか。しかし、「新奇性」などというものは慣れてしまえば、別に目新しさを感じません。すると「もっと新しいモノを、もっと珍しいモノを」というある種の麻痺状態に陥ってしまわないでしょうか。





豊かな社会では、その豊かさゆえに人々は「退屈する」だろう
これがケインズの予想図です。

まさにわれわれはそこにまで達してしまったのです。


そうなると、資本主義に変わる別の文化をわれわれは見いださねばなりません。
そこで、例のケインズ論文の文句が再び顔を出してきます。

代わりがあるのかを考えると、われわれは極度に困惑してしまう

そうなのです。今のシステムはもう行き詰まっているのではないか。われわれは別の何かを模索しなければならないのではないか。
薄々、感づいていながらも「それじゃ、何をすればいいの?」というところで、われわれは手詰まりに陥っているのです。

この手詰まり感に対して、ケインズはもうひとつの可能性をわれわれに示しています。

それについては、次稿に譲ることにしましょう。



今回も長くなりました。お付き合いいただいた方には感謝申し上げます。confident



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