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2009年8月24日 (月)

愚痴をこぼしても始まらない

昨日は、第5次勝山市総合計画の北郷地区座談会に出席しました。




現在、勝山市は「10年間の勝山市の戦略」ともいえる総合計画の策定を進めています。第4次までの総合計画は行政サイドが一方的に決定していたのですが、今回は市民の声を繁栄させるべく地区座談会や様々な講演会などを企画しています。


私自身は、市議会議員という立場上、こういう席で自分の意見を言うことはありません。黙って皆さんのご意見を伺うのみです。


すると、多くの建設的な意見に混じって、多くのネガティブな意見が出てくるわけです。



挙げ句には、

勝山なんて良いところがあるわけない。
後は萎んでいくだけだよ。
勝山に魅力なんてどこにあるんだい?
こんな会議をする意味がどこにあるんだい?



あ~、出たな。勝山マインド。coldsweats01



まずは、否定的な意見から出発するというか、斜に構えるというか。








建設的な意見も確かに多くありましたが、私はひとつだけ納得いかない所があるのです。

それは、 
「●●なのだから、行政は××して欲しい」という論調が基本になっている点。




私は、これは逆だと思うのです。
「私は●●ができる。行政はこれに対して××はできるのか?」



今回の座談会の中に、唯一といってよいこの種の意見がありました。
「私たちは高齢者のサロンを頑張って維持している。行政はこれらの活動をどのように認識してるのか?」
ああ、良い意見だ・・・・と思って聞いていました。





皆さん、お仕事をしているわけです。子育てもしなくちゃいけない。日々、多忙な生活を送っていらっしゃる。それは重々わかっています。
しかし、その中でも「オレは、勝山のためにこの程度のことはできる」という前向きさを前提にして、初めてまちづくりは前に進むことができます。




まちづくりって、そんなに難しいことではないと私は思っています。どうも、まちづくりというと、眦(まなじり)決して、脇目もふらずにそれに命をかけているような人々がクローズアップされるせいか、何やらとんでもないことをやらなきゃいけないような風潮があります。確かに、そういった「キ●ガイになってまちづくりをやる人たち」が求められることは確かです。しかし、彼らだけではまちづくりは成功しません。



ごくごく普通の人たち。仕事や子育てに日々多忙な人たちの、「ああ、いいよ。これくらいならば、手助けしても」という力が集結してこそ、まちづくりは成功すると思うのです。







逆に言うならば、ごくごく普通の人たちの力が集結しない限り、勝山のまちづくりはいつまで経っても同じ所をぐるぐるとまわることでしょう。



実際に、勝山のまちづくりは20年前と何も変わってはいません。20年前にまちづくり活動をしていた人たちに話を伺うと、今と同じようなことをしていたのです。

ならば、なぜ、彼らの活動が次のステージに進まなかったのでしょうか。それは、疲れてしまったからです。

「そんな活動をして何になる?」
「あいつらは、目立ちたいだけなんだ」




そんな周囲の声に潰されて活動は萎んでいきます。誰もしなくなったところで、また違う人たちが活動を始めて、また周囲の声に潰されて萎んでいく・・・・この繰り返しでは、20年経とうが30年経とうが同じ所をぐるぐるとまわるだけなのです。






もっとも、この勝山マインドからの脱却は容易ではありません。なぜなら、意識改革ほど難しいものはないからです。

その意味で、今回の座談会のような取り組みは是非とも継続して行って欲しい。市職員にとっては負担は軽くありません。


座談会をすれば、愚痴のようなことしか聞かされず、市に対する文句が大半。行政は何をやっているのだ。あんな建物作ってなんになる。こんな勝山で何ができる・・・エトセトラ、えとせとら。黙って聞かされる立場になれば、これほど辛いものはありません。
(愚痴を黙って聞かされ続けるというのは、精神的な拷問なのです)


しかし、それでもこういう座談会を繰り返し繰り返し行うことは、必ずや人々の意識を変えていくことでしょう。










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